1946年南海大地震の3日後の12月24日に父 近森正博により本館A棟の地に近森外科が開設されました。1964年6月救急病院の告示以来、「救急の近森」として24時間365日高知で最も多くの救急患者の受け入れを行ってきました。父の時代は「量的拡大の時代」であり、時代の要請にこたえて診療科や病床、スタッフを増やし、父が亡くなった1984年には、すでに医師数21名、スタッフ数422名、病床数は579床の大病院になっていました。
私が理事長、院長に就任すると、相前後して第一次地域医療計画が始まり、病床の多い高知県では増床ができなくなり、「量的拡大から質的向上へ」「物(薬剤、検査)から人(スタッフ)へ」と運営方針の大転換を行いました。
2000年からは先進的に地域医療連携をすすめ、2003年には高知県ではじめて地域医療支援病院に承認されました。さらには同年、心臓血管外科の開設に伴いICUなどの重症病棟を整備し、重症病棟と一般病棟のスムーズな病棟連携もベッドコントロールナースにより行われています。2003年には栄養サポートチームにより管理栄養士が病棟に出ることで、全国ではじめて薬剤師、リハスタッフ、臨床工学技士、ソーシャルワーカーなどの多職種による本格的な病棟常駐型チーム医療がスタートしました。病院や病棟、スタッフの機能を絞り込み連携することで医療の質を上げ、労働生産性を高め、マネジメントで診療機能を整備し、医師はじめスタッフの労働環境ややりがいが飛躍的に良くなりました。
2010年から高知県初の社会医療法人となって民間の活力をもった公的病院になるとともに、7カ年計画で近森病院はじめ、脳卒中のリハビリを行う180床の近森リハビリテーション病院、整形外科患者のリハビリを行う100床の近森オルソリハビリテーション病院、全792床の全面的な増改築工事を行いました。急性期の近森病院は338床から452床の急性期病床と総合心療センターの精神科急性期病床60床を本院に統合、512床の高度急性期病院となり、それとともに中四国でもトップ3の救急患者の受入れを行い、2011年5月には救命救急センターに指定されています。
この数年で、病院を取り巻く環境は大きく変わり、厳しい時代を迎えています。今までの発想にとらわれない自己変革を限りなく続け、高知の救命救急医療の基幹病院として、「高知の地域医療を守る最後の砦」として、使命感をもってその責務を果たしていきたいと決意しています。
近森病院75周年に際しコーポレートメッセージを策定しました。 メッセージには、先人から受け継いできた「医志」と患者さんやご家族、帰りを待つすべての人びとに向けた職員の「想い」が込められています。
わたしたちは、このコーポレートメッセージに込めた想いとともに、これからも高知の医療を支える決意と情熱を持って100年に向け踏み出していきます。
今回、コーポレートメッセージの策定に合わせて「職員によるBIGアート制作」のイベントを開催しました。当院のイメージカラーであるスカイブルーを中心に同系色の色鉛筆で全職種(のべ1,000人を超えるスタッフ)が協力して手塗りで仕上げました。 B0サイズ(タテ1m 3cm×ヨコ1m 45cm)の大きさで近森病院本館A棟3階に実物を展示しています。
BIGアート制作の様子が映った、スペシャルムービーもご覧ください。
音声が流れます。端末の音量をご確認のうえ、ご覧ください。
「近森病院」「75周年」をテーマに職員から作品を募集。全151句から職員投票、決選投票を実施。受賞句を含む全ての川柳を公開します。
詳しく見る
75周年記念のロゴマークを職員から募集。全88作品の応募の中から、職員による決選投票を実施。受賞作品を含む全ての作品を公開します。
1946年の開設以来75年にわたり、たゆまぬ歩みを続けてきた近森病院。これまでの軌跡をご紹介します。
1946年南海大地震の3日後の12月24日に父 近森正博により本館A棟の地に近森外科が開設されました。1964年6月救急病院の告示以来、「救急の近森」として24時間365日高知で最も多くの救急患者の受け入れを行ってきました。父の時代は「量的拡大の時代」であり、時代の要請にこたえて診療科や病床、スタッフを増やし、父が亡くなった1984年には、すでに医師数21名、スタッフ数422名、病床数は579床の大病院になっていました。
私が理事長、院長に就任すると、相前後して第一次地域医療計画が始まり、病床の多い高知県では増床ができなくなり、「量的拡大から質的向上へ」「物(薬剤、検査)から人(スタッフ)へ」と運営方針の大転換を行いました。
2000年からは先進的に地域医療連携をすすめ、2003年には高知県ではじめて地域医療支援病院に承認されました。さらには同年、心臓血管外科の開設に伴いICUなどの重症病棟を整備し、重症病棟と一般病棟のスムーズな病棟連携もベッドコントロールナースにより行われています。2003年には栄養サポートチームにより管理栄養士が病棟に出ることで、全国ではじめて薬剤師、リハスタッフ、臨床工学技士、ソーシャルワーカーなどの多職種による本格的な病棟常駐型チーム医療がスタートしました。病院や病棟、スタッフの機能を絞り込み連携することで医療の質を上げ、労働生産性を高め、マネジメントで診療機能を整備し、医師はじめスタッフの労働環境ややりがいが飛躍的に良くなりました。
2010年から高知県初の社会医療法人となって民間の活力をもった公的病院になるとともに、7カ年計画で近森病院はじめ、脳卒中のリハビリを行う180床の近森リハビリテーション病院、整形外科患者のリハビリを行う100床の近森オルソリハビリテーション病院、全792床の全面的な増改築工事を行いました。急性期の近森病院は338床から452床の急性期病床と総合心療センターの精神科急性期病床60床を本院に統合、512床の高度急性期病院となり、それとともに中四国でもトップ3の救急患者の受入れを行い、2011年5月には救命救急センターに指定されています。
この数年で、病院を取り巻く環境は大きく変わり、厳しい時代を迎えています。今までの発想にとらわれない自己変革を限りなく続け、高知の救命救急医療の基幹病院として、「高知の地域医療を守る最後の砦」として、使命感をもってその責務を果たしていきたいと決意しています。