
理念
- 近森会グループは、患者さんが尊厳ある人生を送ることができるよう、
適切な医療サービスを提供する使命があると考えています。 - 近森会グループは、患者さん中心の医療を、
快適に受けられる場所でなければならないと考えています。 - 近森会グループは、たえず医療水準の向上に努め、
スタッフが誇りと責任をもって働ける職場でなければならないと考えています。
運営方針
- わたしたちは、24時間365日いつでも、
よりよい医療の提供を目指します。 - わたしたちは、急性期からリハビリテーション、
在宅まで一貫した医療を提供しています。 - わたしたちは、患者さんと接するすべてのスタッフが
それぞれの専門性を発揮し、チーム医療を行っています。 - わたしたちは、他の医療機関や施設との連携により、
豊かな地域医療の推進を目指しています。 - わたしたちは、医療人として豊かな人間性を育てると共に、
専門知識の修得や技術の向上に努めています。
理事長あいさつ
はじめに
近森病院は高知の駅前にある急性期の基幹病院512床で、救命救急センター、地域医療支援病院、管理型臨床研修病院、災害拠点病院であり、マネジメントで自己変革を続けてきた。
マネジメントの本質はFocus(集中)であり、病院では「機能の絞り込み」と「連携」になる。病院機能、病棟機能、スタッフ機能を絞り込むことで、地域医療連携、病棟連携、チーム医療を実践してきた。機能を絞り込むことで医療の質と労働生産性が向上し、患者数が増え単価も上がり、売り上げを増やし、将来の利益を生み出す設備投資、人件費アップの原資に充て、これをくり返すことで病院を発展させてきた。
野戦病院のような病院
~量的拡大の時代~
1946年、父 正博により近森外科が開設され、1964年の救急病院告示以来「救急のチカモリ」として24時間365日高知で最も多くの救急患者の受入れを行い、徐々に病院は大きくなった。父の時代は「量的拡大の時代」であったが、一方で、重症患者を集めた院内ICUや中央手術室、検査室といった機能の集中や組織づくりに合理的な考え方を近森の風土に導入してくれていた。開院から38年後の1984年に父が亡くなった時には、質はともあれ病床数579床の大病院へと発展していた。この579床の病床がなければ今日の近森の発展は不可能だったと考えている。
量的拡大から質的向上へ
~第一の転換期~
私が院長、理事長に就任した当時、第一次地域医療計画が施行され、病床の多い高知県では増床ができなくなり、「量的拡大から質的向上」、「物から人への転換」に運営方針の大転換を行った。選択と集中で機能を絞り込み、医療の質と労働生産性の向上を図った。
1987年には増床を伴わない近森病院初の増改築を行い、中央診療部門が拡充され、1989年には基準看護、トータルコンピューターシステム、さらには回復期リハ病棟の診療報酬を創設した近森リハビリテーション病院が開院した。回復期リハの確立により、近森は急性期と回復期が分離され、それぞれの機能に絞り込むことで、近森リハ病院は全国有数の全館回復期リハ病院に、近森病院は全病床を急性期医療に絞り込み、救命救急センターにまで発展することが出来た。1992年には新館も竣工し、近森病院は近代的な病院への道を歩むことになった。
地域医療連携と病棟連携
~病院と病棟機能の絞り込み~
1999年、落ち着いた外来患者を地域のかかりつけの先生方にお願いして、救急と紹介、専門外来に絞り込み、「地域医療連携」がスタートした。2003年には高知県初の地域医療支援病院に認可され、2011年には完全紹介予約外来制の外来センターが完成するとともに、救命救急センターに指定されている。
2000年には心臓血管外科が開設され、高度急性期医療に対応、ICUも開設され、重症の患者を集中治療病棟で診て、落ち着いたら一般病棟へ移る「病棟連携」が始まった。現在はICU18床、救命救急病棟18床、HCU28床、SCU15床、合計79床の高規格重症病棟が整備され、病床コントロールナースにより集中治療病棟と一般病棟とのスムーズな転棟、転室が行われている。
病棟常駐型チーム医療
~医師はじめ多職種のスタッフ機能の絞り込み~
2006年には栄養サポートの臨床管理栄養士が全病棟に配属され、全国で初めて薬剤師やリハスタッフ、管理栄養士、臨床工学技士、ソーシャルワーカー、歯科衛生士などの多職種による「病棟常駐型チーム医療」がスタートした。スタッフの機能を絞り込み連携することで、医療の質を上げ労働生産性を高めるとともに、医師はじめスタッフの労働環境ややりがいが飛躍的によくなった。同年、電子カルテが本格稼働し、DPCも導入され、チーム医療の基盤整備がなされている。
21世紀の医療に対応できる病院へ
~近森のすべてのハードが一新~
2010年には高知県初の社会医療法人となって民間の活力をもった公的病院になるとともに、同年から7カ年計画で近森会グループ全体の増改築工事が始まり、これから30年、40年耐えうるハードを作り上げた。
近森病院ではヘリポートを有するA棟と北館病棟、外来センターの新築やBC棟の改築により、救急部門や手術室、集中治療病棟の大幅なスペースの拡充が図られた。急性期病床は338床から452床に増床し、さらには総合心療センターの精神科104床を60床の急性期精神科病床に機能を絞り込み本院に統合した。これからの救命救急医療に充分対応出来る512床の高度急性期病院に変貌した。
近森リハ病院は2015年江ノ口川南岸のボウルジャンボ跡地に新築移転し、最先端の回復期リハ病院180床となり脳卒中、脊損のリハビリを展開している。
翌2016年は近森オルソリハ病院も近森リハ病院跡地に改築移転し、整形外科のリハ病院として運営されている。
オルソリハ病院跡地には2015年春開校した近森病院附属看護学校が改築移転し、学校上層階には近森教育研修センターが開設され、2016年より看護師特定行為研修が行われている。
2010年には社会福祉法人ファミーユ高知の高知ハビリテーリングセンターが春野に新築され活動を開始、2018年には、しごと・生活サポートセンターウェーブが北本町に新築移転したことを最後に、近森会グループのすべてのハードが一新された。
右肩上がりから右肩下がりの時代へ
~第2の転換期~
2016年4月の診療報酬改定では、重症度、医療・看護必要度が29%と強化され、看護師の数さえ揃えれば診療報酬が得られるという「ストラクチャー評価」から、成果を出すことで評価される「アウトカム評価」に変わり、まさに2016年4月は高知の地域医療が大きく変わった「時の分水嶺」ともいえる改定であった。「右肩上がりの時代から右肩下がりの時代」に時代が大きく変わったことを示している。
高知県は人口が減少し患者数が限られているところに、病院の機能分化が急速に進んでおり、なかでも近森は7カ年計画による建築コストや増床に伴う人件費増で、全国で最も大きな影響を受けた病院であった。
2016年8月には経営方針の大転換を打ち出した。右肩下がりの時代となり、「質を保ちつつ徹底した経費の削減」を大きな経営目標とした。さらに、今まで以上に急性期医療に絞り込み、在院日数を短縮、入院単価を上げ、重症の新規入院患者を増やすことで経営は飛躍的に改善している。
激変する高知の地域医療
~地域医療でも機能の絞り込みと連携~
地域医療構想以前に診療報酬改定で人口が減少し、病院、病床数の多い高知の地域医療は大きく変化している。
重症度、医療・看護必要度が改定毎に厳しくなったことで、重症の急性期患者は基幹病院に急激に集中するようになり、100床以上の一般急性期病院は2015年には16病院であったが5年後の2020年には11病院、実質8病院と半減している。
介護療養病床も2,600床が介護医療院という施設に転換しており、病院や診療所の廃院やM&Aが多発するようになった。生き残るためには今まで以上に病院機能を絞り込みスムーズな連携を行わなくてはならなくなっている。
~第3の転換期~
2022年4月の診療報酬改定では急性期、回復期リハ、地域包括ケア、慢性期すべての算定要件が厳しくなり、今まで以上の激震が高知の地域医療に起こると考えられている。近森会グループでも3病院それぞれが体制の変革を行い、今まで以上のシームレスな連携により日本有数の有機的な病院グループに成長したいと願っている。
おわりに
この数年で、新型コロナ感染症をはじめ病院を取り巻く環境は大きく変わり、極めて厳しい時代を迎えている。今までの発想にとらわれない自己変革を続け、高知の救命救急医療の基幹病院として、近森リハ病院、近森オルソリハ病院とともに、高知の「地域医療を守る最後の砦」として、使命感をもってその責務を果たしていきたいと決意している。

近森 正幸(ちかもり まさゆき)
- 生年月日
- 1947(昭和22)年7月31日 高知県生まれ
- 現職
-
社会医療法人 近森会 理事長
社会福祉法人ファミーユ高知 理事長
医療法人松田会 理事長 - 学歴
-
1966(昭41)年3月 土佐高等学校 卒業
1972(昭47)年3月 大阪医科大学 卒業 - 職歴
-
1972(昭47)年6月 大阪医科大学 第二外科入局
1976(昭51)年4月 癌研究会付属病院
1977(昭52)年4月 大阪医科大学 一般消化器外科
1978(昭53)年4月 近森病院 外科科長
1984(昭59)年11月 院長・理事長就任
2006(平18)年4月 社会福祉法人ファミーユ高知 理事長就任
2007(平19)年6月 医療法人松田会 理事長就任