
近森相談役のぶらり旅
[2025年1月25日]日本の城郭建築の起源 吉野ケ里
山城巡りで名護屋城や平戸城を訪ねた帰り道、ぶらりと弥生時代前期から後期にかけての環濠集落で有名な吉野ケ里に行ってきました。吉野ケ里が「お城」と驚かれると思いますが、環濠集落は立派な城の起源で、段丘上に位置し、見張り用の物見櫓が立っていて敵襲に備える堀(環濠)、城柵、土塁、入口には虎口があり、防御施設が整備されています。
ちなみに、吉野ケ里は高台にあり、畑や桑畑、果樹園であったので、遺構が良好な状態で残っており、大正時代末期には遺跡があることが知られるようになりましたが、大規模な発掘が行われたのは次のどれによるものでしょうか?
(①圃場整備計画 ②宅地整備計画 ③野球場計画 ④工業団地計画)
(答えはここをクリック)
④。工業団地計画で広範囲の本格的な発掘調査が開始され、大規模な環濠集落や墳丘墓が「卑弥呼の集落」と同じと報道され、一躍全国的に注目を集めました。


まつりごとを司る最重要施設で、二重の環濠と城柵、城門で厳重に守られている。

王たちの家を含め20棟の建物が復元されている。

堀の中の敵を横から攻撃出来る突出部。


王はこんな感じで生活していたようです。