相談役 近森正幸のひとりごと
[2022年1月25日] 急性期基幹病院のあるべき透析センターを作り上げて下さった深田技士長に感謝して
近森病院 院長
近森 正幸
深田和生臨床工学部技士長は1984年3月透析認定士(臨床工学技士の前身)として分院(現、第二別館)に入職、近森正昭 腎・透析センター部長の指導のもと、当時の松木秀樹臨床工学部長を支えながら管理者としても成長され、実務面で営々と努力をして下さいました。
分院時代は社会的入院患者の退院を促進し、外来透析に転換するばかりでなく、当時透析施設がなかった郡部の患者には、積極的にCAPD(持続腹膜透析)を導入し、在宅療養を行いました。正昭部長は透析の指示を出すだけで、すべての権限を委譲された透析技士が業務のほとんどを行うというタスクシフティングを今から40年近くも前から実践してくれています。
深田技士長は労務管理ばかりでなく、年々下がる診療報酬に対応して様々なコストダウンに取組み、透析記録の電子化の早期導入、透析機器の当院技士による完全メンテナンス、さらには患者情報の収集を積極的に行い、データに基づき透析室の運営や業務改善を行い続けてくれました。
2006年からは外来維持透析患者をできるだけ制限し、急変患者や合併症の治療といった急性期の透析入院患者の受け入れを一度のお断りもなく積極的に行いました。当時、50名程の紹介入院患者は2020年には高知県下の全透析施設39施設から年間464名とほぼ10倍に増加、紹介元への復帰率も97%に上がっています。
重症患者の増加に伴い、集中治療病棟79床すべてに透析の配管を行い、重症患者の病棟透析もいつでもどこでも出来るように推進してくれました。また、2000年の心臓血管外科の開設に伴いACEチーム、2009年には心臓カテーテルのサポートを行うCSチームの立ち上げにも尽力しています。
正昭部長と二人三脚で、急性期基幹病院のあるべき透析センターを作り上げて下さったマネジメント能力の素晴らしさに感心するとともに、長年のご労苦に深く感謝しています。退職後は広大な実家と畑のお世話に専念されるとのことですが、今までの肩の荷をおろして田舎の生活を楽しんで下さい。