相談役 近森正幸のひとりごと soliloquy

相談役 近森正幸のひとりごと

相談役 近森正幸のひとりごと

[2021年02月08日] 山城巡り、コロナの前と後

4、5年前から武士が弓矢や槍で戦っていた頃の土の城、山城を訪ねてみたくなり、県外の学会や講演会で呼ばれた時など1日休みをもらって山城を巡るようになった。当然、東京での会合が多くなるので関東一円から甲信越、中部、北陸、東北に新幹線などを利用して40余りの山城に足を延ばした。

なかでも関東は山内上杉氏と扇谷上杉氏、古河公方、下っては後北条氏と上杉氏、武田氏三つ巴の争いに巻き込まれ、横矢掛り、虎口、馬出しの工夫が極度に発達している。まるで芸術品のような緻密な縄張りを有する山城の教科書、杉山城(埼玉県嵐山町)や土の城の最高傑作と言われる滝山城(八王子市)、真田氏ゆかりの堅城、竪堀が山麓まで一直線に落ちる岩櫃城(群馬県吾妻町)、徳川家康が対豊臣戦で丸馬出と横堀の三日月堀で堅固な防御を整備した丸子城(静岡市)などよく整備された見応えのある山城が目白押しである。

2020年春からはコロナが流行し県外への出張は出来なくなった為、たまたま松田直則さん編集の『土佐の山城-山城50選と発掘された23城跡』が発売されたことをきっかけに、土佐の山城を巡る旅を4月から開始した。

土佐7守護といわれた本山、安芸、大平、山田、津野、吉良、長宗我部が割拠した山城を中心に、里山や山間の小さな豪族の山城、前線基地となった境目の城など、3カ月で幡多を除く40の城跡に行くことができた。整備された岡豊城や姫野々城、安芸城、蓮池城、久礼田城などを除き、ほとんどの山城は自然に還りつつあり、草木が繁茂し、倒木や崖崩れ、谷川の流れで道がなくなっていることもあった。

それでも土佐中央部で勢力を伸ばしてきた本山氏が築き、本山城に退去した後は長曾我部氏が大きく改修した大規模な縄張りをもつ朝倉城は、二重、三重の横堀と畝状竪堀群でしっかりと防御されている。東洋町の内田城は長曾我部元親が阿波へ進攻する前進基地として整備されたようで、土塁や帯曲輪、さらに4か所の虎口を設け、堀切は竪堀と連結し、ひの字状空堀を配した堅固な遺構になっている。規模は小さいがその精緻さ故に山城好きにはたまらない、布師田の金山城、大豊町の粟井城、越知町の片岡城、香我美町の山川土居城、同、末延城などの山間の山城は、田舎の豪族が敵が攻めて来た時の逃げこむ詰の城として機能していた。

尾根筋を断って敵の侵入を防ぐ堀切などは、攻め手を一列に並ばせて各個撃破するために緩斜面側にかすかに小道がある場合が多く、その判別に頭を使わないといけないし、地形図とコンパス頼りに道を探さないといけないし、勘もすっかり鋭くなった。時には立木につかまりながら急な山の斜面をよじ登り、倒木を乗り越えたり、くぐったり、足元も不確かで落ち葉で滑りやすく、足腰もしっかり鍛えられた。なんとなく戦国時代の武士になったようで、コロナに対抗して体力も免疫力も随分アップしたように感じている。

2021年2月8日

理事長 近森正幸