相談役 近森正幸のひとりごと soliloquy

相談役 近森正幸のひとりごと

理事長のひとりごと

[2017年02月07日] 寂しくもあり、嬉しくもあり

 2016年4月の診療報酬改定の衝撃で、救急の現場から離れてもう20年になる私が、近森病院の院長職を続けることはもはや難しいと感じた。

 息子の近森正康に後を譲ると考えざるを得なくなってから、稟議書や病院運営に関するさまざまな書類、郵便物の流れの整備をはじめ、院長業務の引き継ぎを昨年の6月ぐらいから始めた。

 朝の幹部のミーティングにも一緒に参画してもらい、院長の仕事の流れを把握してもらうようにした。社会医療法人近森会を始め、医療法人松田会、社会福祉法人ファミーユ高知の副理事長の就任など、体制づくりを整え、2017年1月早々から院長職を譲ることになった。

 新しい体制を決め準備万端整えて、院長を譲るというのは頭ではハッキリ解っていたが、身体があと一つついていってなかった。1月4日の仕事始めから私を取り巻く世界が変わった。これまで相談に来ていた幹部の連中がこの日を境に、自分のところに来なくなった。電話さえ無い。すぐ隣の院長室を覗いてみると、自分のところには来ず、息子の正康にこっそり(あくまで個人的な思い)指示をもらいに来ている。

 これまで私と同席しているときはあまり話をしなかった息子だが、いろいろな会でも積極的に発言するようになったし、課題もいつの間にか解決している。近森病院院長という重責をきちんと受け止め、自分で先頭に立ってしっかり歩き出してくれたことは嬉しかった。前から思っていたことだが院長を譲った後は、私は死んだつもりでいようと決めていたがその必要はなかった。

 32年前、親父が10月に亡くなり、12月の忘年会で壇上から挨拶をした際、職員から矢のような視線を感じたものだった。当時から比べると院長の周りには副院長始め、しっかりとした組織とサポート体制があり、理事長も健在で、余裕をもって後を譲るとこんなにも大きな違いがあるものかと、つくづく思った。

2017年2月7日

近森 正幸