4ページ目へつづく▼ もう少し人間らしい生活がしたいと私に相談にきました。急性期の整形外科医がしなくてもいい業務は何かを考え、落ち着いた外来患者を診療所などにお願いして、救急と紹介、専門外来に絞り込むことにしました。私の母も肩や腰が痛く、物療をしていましたが、追い出され困ったことを覚えています。 これが地域医療連携スタートのきっかけであり、その後、内科の先生方も同じ考えで対応して下さり、開放型病院から地域医療支援病院認可に繋がった大きな出来事でした。先生はまた整形外科医として手術に専念するため、周術期業務を看護師ばかりでなく病棟常駐している多職種の医療専門職、特に薬剤師、管理栄養士、リハスタッフに積極的に権限委譲して下さり、医療専門職が自律・自働することで、周術期業務のほとんどが出来るまでに機能を高めてくださいました。第四のきっかけは、管理栄養士の宮澤靖前臨床栄養部部長で、アメリカに留学しアメリカの管理栄養士の資格を取得した日本で唯一の管理栄養士で、前高知医大の小越章平副学長のご紹介で近森に来て下さいました。1年後に栄養サポートチームを開始し、管理栄養士4、5名で夜中の10時、11時まで頑張りましたがアウトカムが出ず、二人でいつも悩みながら話をしていました。ある夏の日、今は付け替えてありませんが旧本館の北側の小川にかかっていた橋の上で、突然閃きました。入院患者の半数以上に栄養サポートが必要で、業務量が圧倒的に多いのに管理栄養士が少なすぎるという、今から思えば当たり前のことですが、当時はなかなかそんな単純なことに気付きませんでしたし、今も多くの病院の院長や事務長は気付いていないと思います。早速、管理栄養士を1病棟に1名常駐させアウトカムの出る栄養サポートをはじめ、近森病院の多職種による病棟常駐型チーム医療が始まりました。日本の栄養サポートチームの夜明けは旧本館北側の橋の上だと思います。第五のきっかけは、心臓血管外科の入江博之先生(現副院長兼主任部長)で、JOB63宮澤靖 前臨床栄養部部長(ひろっぱ Vol.297 2011年3月25日発行より)衣笠清人 現整形外科統括部長(50年目の近森会より)Q.43
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