職員から理事長への質問!に回答
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75年の間に幾度もの転換期・変革期があったと思いますが、最も大きな、あるいは印象深い転換期・変革期はいつでしょうか。その時の時代背景や苦慮されたこと、どのようにして乗り越えられたかについても教えていただきたい。2ページ目へつづく▼ 1946年に近森外科を開業して亡くなるまでの38年間の父の時代は「量的拡大の時代」で、病床数を579床まで増やしてくれました。第一の転換期は、1984年に父が亡くなり、私が医療法人近森会理事長、近森病院院長に就任しましたが、ちょうどその時、第一次地域医療計画が始まり、病床の多い高知県では増床ができなくなりました。量がダメなら質のアップしかないということで、量的拡大から「質的向上の時代」、「物から人への転換」などをキャッチフレーズに質をアップする戦略に転換しました。父が生きておれば意思の強い人でしたので、頑としてこのような変革は許してもらえなかったと思います。父は私が自由に近森病院をよくしてくれるよう、自ら身を引いてくれたように思えてなりません。今から思えば、父の愛を深く感じています。最初に取り組んだのは増床を伴わない近森病院の質を上げるための中央診療部門の増改築で、当時は診療報酬が低く、増床し入院患者を増やすことで元金返済の原資にしていましたので、医師会の先生方から「これで近森は潰れる」と言われました。次に三大プロジェクトとして、梶原和歌元看護部長による基準看護の取得、北村龍彦前副院長による総合医療情報システムの完成、石川誠先生による近森リハビリテーション病院の開設を行いましたが、赤字のリハ病院を作ることで、「これで確実に近森は潰れる」と先生方に言われています。JOB58故 石川誠先生(元近森リハビリテーション病院 院長)(50年目の近森会より)北村龍彦 前近森病院 副院長(現外科部長)梶原和歌 元近森病院 看護部長Q.42

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