外科医だったころの驚きの救急のエピソードなどがありましたら教えてください。2ページ目へつづく▼1984年頃、山口組豪友会と一和会中井組の抗争が高知で始まり、テレビで放送されていましたが、院内で抗争を始められたら困りますので、愛宕病院が勝ち組の豪友会、近森病院が負け組の中井組担当と、最初に搬入された患者で自然に決まり、大変なドンパチが始まりました。病室の前には警護のために24時間警察官2名がついておりましたが、二人とも熟睡しており、これで大丈夫かと心配したことも多々ありました。親分の警護を店の前でしていた子分が油断している間に親分が襲われ、詰め腹を切らされて、撃った中井組の組員を襲撃してきましたが、わざわざ捕まるように看護師の白衣姿で病院に現れ、さすがに看護師も笑っていましたが、すぐ警備の警察官に捕まってしまいました。救急外来では撃たれて重傷の組員二人が搬入されてきましたが、虫の息のひとりはあきらめて助かる可能性のある組員を手術場に上げる究極のトリアージをしたことを覚えています。パトカーで組員を追跡していた警察官が窓から顔を出したところを撃たれ、たまたま右前頭部の接線方向に弾が入り、頭がい骨と皮膚の間をグルッと回り、左側頭部の皮下に止まっている状態で搬入されましたが、弾の上を皮膚切開し摘出した弾を膿盆に落とすとカランとした渇いた音がして、つい西部劇を思い出しました。その警察官は退職までお元気に勤められました。負け組の中井組ですので、抗争末期になると頑強な兵隊がいなくなり、急遽集めてきた少年兵とすでに引退したおじきの老年兵ばかりとなり、太平洋戦争末期も同じですが、少年兵と老年兵が駆り出されるようになると戦いは負けということがよく分かりました。心臓関係では、自転車に乗って転倒し胸に差していたシャープペンが心臓にささり、拍動とともにピコピコなっていたシャープペンを胸骨切開で摘出したことや、明け方車同士の正面衝突で胸を強く打ち、右血胸に対し胸腔ドレナージを行ったところ大量の出血が見られたため、やむなく開胸しましたが、奥の血塊を取り除いたところウワッと血液が湧き出し、さすがにその時は足がガタガタと震えました(足が震えたのJOB50膿盆(イメージ画像)Q.35
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