昔は朝早くから救急外来もされていたと聞きます。どれほどハードな日々だったのでしょうか?手術中の近森正幸(1988年8月撮影)一番ひどかったのは私が外科医として近森病院に帰って来てしばらくした時で、将来院長になる生意気な若造が外科医で帰って来たということで、今まで5、6人いた外科医がすべていなくなりました。ひとりで朝の7時から病棟回診を行い、9時から12時は外科外来(当時は地域医療連携をしていませんでしたので、創の包交などの外来患者が多かったです)、昼休みはご飯をぱっと食べて病棟の回診、午後いっぱい外来をやって夜の6時から看護師を相手に手術をしていました。そのため、私の手術方法は外科医ひとりでできるやり方になっています(手術の前立ちとしてフィジシャン・アシスタント(PA)や自動吻合器などの必要性を痛感し、現在のチーム医療に繋がったように思います)。夜間、休日にかかわらず、手術が必要な救急患者が多数搬入されましたが、1回も断ることなく一人で手術を行っていました。そのため、寝れる時に寝るようにしていましたので、今でも寝室は遮光カーテンをしており、昼間でも真っ暗になります。レストランで食事をしようと夫婦で行っても、急な呼び出しで残された妻だけで食べることもよくありましたし、懇親会や送迎会はたいてい寝ており、支払いの時だけ起こされていました。今から考えると若くて馬力があって必死だったので、なんとか頑張れたと思います。JOB49急患受け入れの様子(1987年本館増築記念誌より)写真奥中央の白衣が近森正幸理事長Q.34
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