高知城丸の内公園にある銅像は野村茂久馬翁だと思いますが、そんなおじい様との思い出を教えてください。普通の祖父と孫の関係とはだいぶ違うように思えましたので。2ページ目へつづく▼高知城丸ノ内緑地にある祖父野村茂久馬像(撮影:企画課) 小学校6年生の時、校庭の朝礼に行くと回りの同級生から祖父が亡くなったことを聞き、はじめて有名な人であったことを知ることができました。祖父は背が高く体格もがっちりしており顔もいかつく、一見怖そうでしたが、孫に対しては本当に好々■で、自宅の中庭で従兄弟を集めてパン食い競争をしたり、御馳走してくれたことを覚えています。祖父が亡くなった後も、祖母に会いに行くといつもニコニコとよう来た、よう来たとお小遣いをもらっておりましたので、祖父母にはいい思い出しかありません。 母方の祖父の野村茂久馬は奈半利※から出て来て、高知の海運、陸運の発展に貢献し高知の交通王と言われ(高知県交通の前身や高知鉄道手結−安芸線など)、貴族院議員にまでなった人で、坂本龍馬や中岡慎太郎、板垣退助らの※奈半利以東は土佐藩の中での流刑地で、山内一豊が土佐に入府した時、長宗我部の家来であった野村茂久馬のご先祖は反乱し殺されましたが、息子は許され、奈半利以東へ流されたそうです。江戸時代累代の反逆の血が野村茂久馬に流れていたと思います。銅像建立などにも貢献した高知県経済界のレジェンドです。 実際はしっちゃかめっちゃかの暴れん坊で、大学は暴れていくつも退学させられていますし、最初は荒くれ者が多い沖中仕の元締めから始め、事業を拡大してきましたが、私と同じで高知が大好きで全国展開は考えず、高知の中だけで事業や各種文化事業を行っています。 PRIVATE45Q.32
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