[2017年10月25日] 戦いの城、江戸城

 今回は夏休みを利用して東京へオペラを観に行った。オペラは3時からなので、午前中は江戸城に行くことにした。江戸城は日本の城の最高峰だが、これまで戦いの城としては見たことがなかった。

 皇居の東側の一角が皇居東御苑で本丸、二ノ丸、三ノ丸の一部を皇居の附属庭園として整備され、一般に公開されている。公園として整備されているためか、ガイドマップにも戦いの城のにおいがまったくない。三日間、江戸城に通ったが、初日の金曜日は休園だったので内堀沿いの石垣を見て回った。石垣はほとんどが表面に出ている石を平たくしてそろえた打ち込み()ぎで、石垣の角は完成された算木積み(長方形の石の長辺と短辺を交互に重ね合わせる積み方)になっている。まさに天下普請で、家康の意向を受けて各大名がつくった石垣はどこも立派で実に見事だった。

 櫓の下は野面積みを部分的に組み合わせ、強度を高めているし、本丸北側の北詰(きたはね)橋門(ばしもん)東側の平川壕に面した石垣は江戸城一の高石垣に屏風折れ(屏風を折ったような石垣で横矢(側面攻撃)で死角をなくしている)が連なっていて、石垣の美しさと防御の強靱さを兼ね備えている。橋はかつては跳ね橋になっていて、北からの攻撃に備えていた。東北の伊達を恐れていたためかも知れない。

北ノ丸や皇居のある西ノ丸は広大な土塁が築かれており、その上と下に石垣がめぐらされている鉢巻き石垣や腰巻き石垣がみられる。さすがに規模といい完成度といい、いま見て回っても築城当時、日本一の城であったことがよく分かる。

 一方城の玄関である大手門の石垣には、石を加工して隙間をなくした完成度の高い切り込み()ぎが見られる。大手門の土橋を渡り高麗門をくぐると枡形の内側には大量の兵士を城壁に上らせる幅の長い石段、ガンギが残っている。白壁には狭間(矢や鉄砲をうつ窓)は見られないが、よく見ると白壁の下の石の部分に小さなトーチカのような石狭間(鉄砲狭間)がいくつも穿かれている。こんなところにも戦いを意識した城作りの痕跡が残っている。

 大手門から入って同心番所から中之御門、大番所、中雀門(ちゅうじゃくもん)を経て本丸への通路には築城当時は外枡形が五重に連続して配置されており、厳重な防御が敷かれていた。今でも枡形になったいくつもの石垣や土塁、櫓門が偲ばれる石垣の穴や柱跡、内側のガンギにその当時のおもかげを残している。

 城好きにとって最もマニアックな門は平河門で木橋の正面ではなく側面に高麗門があり、門前の小曲輪で敵を殲滅するようになっている。高麗門と櫓門に囲まれた枡形には北の丸、竹橋からの大手濠と平川濠にはさまれた帯曲輪(日本で唯一ではないか?)の脇門が開かれており、兵士の自由な移動が出来るようになっている。もちろん枡形内には長大なガンギや石狭間がなんの説明もなく、ひっそりと存在している。平河門を突破しても本丸へは平川濠と天神濠の間の土橋上に小城郭のような鉄壁の外枡形があり、石垣や土塁、櫓門の柱跡、ガンギが残っている。

  戦国時代の山城には戦いの城の原型が見られるが、東御苑にしても土塁などの中世の城の痕跡を残しながら、江戸城は高度な防御機能を有した戦いの城であった。視点を変えることでこんなに見える世界が変わるとは驚きであった。

 

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2017年10月25日

理事長 近森正幸