八幡さまと私

 高知八幡宮の祈年祭(春祭り)と大鳥居竣工奉告祭のご案内をいただき、家内と一緒に出席させていただいた。「ひろっぱ」4月号に写真が小さく掲載されていたので、少し補足しておきたい。

 私が小さいころ、病院の西側には田んぼが残っていて、赤トンボが飛んでいたり、小川には鮒やオタマジャクシがうようよいた。そのころ、「このあたりの氏神さまは八幡さまなんだよ」と、いちどだけ父親からいわれたことが、しっかり心に残っていた。高知に帰ってきても、よく初詣や輪抜けさまに家族揃ってお参りして家業繁栄、家内安全をお祈りしていて、長いお付き合いになる。

 その高知八幡宮は約700年前、今の高知市中心部がまだ島々が浮かぶ海の入江であった頃に、大高坂城(現在の高知城)の守護神として京都石清水八幡宮から城内に勧請したと伝えられている。慶長年間、山内一豊公が土佐に入国してからは、270年間城内城下鎮守の神として、明治維新後は山田橋南詰の現在地に奉遷し、県社八幡宮と称し由緒ある八幡さまであった。一般には山田町八幡さまと親しまれ、高知城下の氏神さまとして広く崇敬されていた。戦後は高知八幡宮と改称され、現在に至っている。

 私が高知へ帰ってきた38年前の近森病院は建物も粗末で、付き添いさんが吸うタバコのヤニで壁が黄色くなり、秋刀魚を焼く煙で非常ベルが鳴るような、まるで野戦病院のような病院だった。以降、必死になって働いて屋上にヘリポートを有する救命救急センターの近森病院を中心として、2,300人のスタッフを擁する大きな組織に成長することが出来た。
 
 その間には、多くの人たちの助けがあったが人智の及ばないことも多く、困った時の神頼みでその時々に八幡さまにお願いを続けてきた。こうしてお参りをしてきたことで、今日の近森会があるように思う。その感謝の気持ちもあって、その折々に個人として奉納させてもらっていた。
 たまたま八幡さまの参道の入口に大鳥居が再建され、その鳥居の柱に大きく社会医療法人近森会と自分の名前を刻んでいただいた。長い間近森で頑張ってきた自分の存在が、こんな形で後々まで残ると思うと素直に嬉しい。

2017年3月30日

社会医療法人近森会理事長 近森正幸